健康であるということ
健康であるということ。
健康って、当たり前だけど、健康である状態のときは、その有難さを感じない。
どこか痛めたり、病気になって初めてその普通であることの尊さを知る。
わたしがこれを悟ったというか、気付いたのは、実は小学生のころ。
近所のよく行くイトーヨーカドーでだった。
その当時の小学生ちびだったわたしはイトーヨーカドーが好きで、両親と行くとテンションがあがり、お気に入りの店をうろちょろ世話しなく動き回ったり、
目に留まるものがあればずっとそこに居座ったりしていた。
イトーヨーカドーは、小学生のわたしにとってとても楽しいエンターテインメント施設であった。
ある日、週末に両親とともにイトーヨーカドーを訪れたわたしは、ふと腹痛に襲われた。
その時は何故かわたしひとりだった気がする。とにかく、急にお腹が痛くなったのである。
正直当時の詳細はあまり覚えてないのだが、その時、目の前のフロア全体がぐわんぐわんして、一生懸命トイレに向かったことだけなんとなく記憶をしている。
トイレに座り込んだのは良いものの、単純に解決しない。
痛みの波が行ったり来たり。
この己の腹の中で突然起きた悲劇。自分の丸っこい膝の上にあるホクロを見つめながら小学生の私は絶望的な気分に陥った。
せっかく、イトーヨーカドーにいるのに。本屋に私は行きたいのだ。漫画も、あわよくば立ち読みしたい。なのに、今、トイレから抜け出せない。痛い。
その時に私は思ったのだった。数分前のスキップしながら、苦痛も何も感じず、イトーヨーカドーに入った、「普通」の時の私って、「幸せ」だったのかと。
大人になった今でも時々腹痛になったりする。
きっとあの小学生のときの腹痛とは原因は違うのだろうけれども、時々調子が悪いと腹が痛くなる。
お腹が痛くなるたびに、ちびまる子ちゃんの山根君と、小学生のときの自分をいつも思い出す。
そう、健康で普通に過ごせるって、実は大変幸せなのである。